続・おねがい J Storm

伊野尾慧くんのファンです。

「カラフト伯父さん」雑感(4/26 18:00・4/28 14:00)

舞台「カラフト伯父さん」を観劇しました。ネタばれありの雑感を。


関西(神戸)が舞台、初ストレートプレイで初主演で3人芝居。
なぜこんなハンデになるような要素だらけのものを伊野尾くんに?と、観る前までは正直そう思ってました。単純に関東の人間にとって関西弁はどう考えてもハードルが高すぎるし、しかも主役には感情を爆発させる演技が求められる内容、ときた。
けれど心のどこかでは、そういった不安な気持ちと同じくらい、この作品との出会いに期待もありました。本人すら知り得なかった伊野尾くんの新たな一面を引き出してくれるかもしれない…という期待です。

結論を先に言うと、伊野尾くんの初主演舞台が「カラフト伯父さん」でよかったなあと思いました。

以下、覚え書き。



オープニング。ラジオから流れてくる関西ノリ丸出しなDJのトークと、呑気なヒットソング「DA.YO.NE」。時は阪神・淡路大震災から10年後の2005年1月です。主人公・徹はおそらく28歳。

寂れた自宅兼鉄工所の引き戸を開き、オンボロの軽トラックで帰宅する徹の登場シーン。実際に伊野尾くんが運転をしており、会場に広がるガソリンの匂いがとても生々しい。

セリフのない静寂な空間に、バタンッ!と、乱暴に車のドアを閉める音が響きます。徹は車だけでなく冷蔵庫のドアやバナナなど、苛立ちを受け止めてくれそうなものにはとにかく乱雑な扱いをする。
なかなか付かない壊れたストーブのご機嫌を伺うようなコミカルな描写。あらすじでイメージしてた徹はもっと粗野な男だったので、くだけた部分もある子なんだと、序盤で分かって安心しました。だし、そこは素の伊野尾くんの持ち味を汲んでくれた結果の肉付けだったのかなあとも思う。以降も怒鳴ったり、だんまりを決め込んでるばかりでなく、主に父の愛人・仁美さんとのシーンでは微笑ましいコミカルなシーンがたくさん出てきます。


行儀悪くどかっとソファに座る徹がビニール袋から取り出したのは、シルベーヌ(ブルボン)、プチシリーズ(ブルボン)、ペットボトル。チョコバーをかじってカップ麺にお湯をそそぐ。
岡崎京子の漫画に出てくる「一人で食べる食事はエサだ」*1というモノローグを思い出しました。徹にとって食事なんてエサ以上の意味がないように見える。流しには何週間も放置してそうな食器。冷蔵庫にはケチャップがころんと転がっていた。

「カラフト伯父さんだよ!」と、徹のもとに金の無心をしに来た実父・悟郎。(もしかしたら、悟郎が実父とは知らなかった幼き頃の徹にとって、このしらじらしい登場の仕方はカラフト伯父さんお決まりの挨拶、だったのかもしれない。)
ここまでずっと沈黙を貫いていた徹が悟郎に放った一言は、
「うっさいわ!」


この表情は見たことあるかもしれない、けれど、いま目の前にいるのは確かに伊野尾くんではない誰か。
このひっくり返りそうな声は聞いたことあるけれど、こんなイントネーションでこんな太さを帯びた聞こえ方ははじめて。
ステージには、神戸で生まれ育った、孤独な孤独な青年がいたのでした。

(数年ぶりにひょっこり現れて「野菜を取れ」だのウザすぎるし、ましてや「こんなもん食ってるのか」とマーブルチョコを茶化されるだなんて、まるで自分の幼児性を指摘されてるような気分になってわたしなら耐えられない。)


徹は毛布にくるまって軽トラで夜を過ごします。疲れた身体を癒す睡眠というより、夜が明けるまでをやり過ごす空間である軽トラは、徹にとってあの日の恐怖や絶え間なくやってくる悲しみや孤独から守ってくれるシェルターのようなものなのでしょう。
そんな徹の痛みを想像すらしない悟郎は徹を否定し続けます。
心を閉じる徹に対して、「地震の話、したくないんだろう」と軽く一言。離婚後、東京で離れて暮らす悟郎にとって震災は、当事者でない観客と同様に過去なのです。


一方、悟郎の愛人・仁美と徹はだんだん打ち解けてゆきます。松永さん演じる仁美(元ストリッパー)は、頑なな徹の懐に土足で上がり込んでくる図々しさとおおらかさがあって、徹とのシーンはどれもこれも微笑ましく、超絶かわいらしかった!!
妊婦であることを逆手に取って甘えたり、ちょこちょこくすぐるように徹にウザ絡み。「いま、笑ったでしょ?」「笑ってへん!」のくだりが暖かくて優しくて。ずさーっと徹がせっかく干した洗濯物を台無しにするシーンにも笑い転げてしまった。結局なんだかんだ妊婦を邪険にできない徹はちゃんと他人を思いやる心の持ち主で、愛を知らないわけじゃないんだな。バナナをあげた時点で仁美の手中におさまったね、徹くん。
松永さんはどういうふうに絡めばキュートな場面になるかっていうのをたぶん分かりまくってらっしゃってて、それがすごくありがたい。伊野尾くんの宴会部長力が発揮されるパートでもありました。
(でもって思い切り余談だが、なるなる。でお見受けした、摩擦ダメぜったいな洗濯物を干す時のあの手つきがほんのり残ってて、伊野尾くん、普段もああなんだろうな、お手伝いあんましてこなかっただろうな、普段は乾燥機にポイしてそこからずるずる引き出して使いまわす派かなともろもろ想像してしまった…^^)


仁美は日曜の朝が好きで、徹に暖かいスープを作ってくれる、春色の汽車でここではないどこかへ行きたいと願っているひと。
仁美と徹のやり取りが大好きだから、悟郎・仁美の二人が東京に戻る、となった時の喪失感に胸が苦しくて堪らなくなってしまったな。暗転後、ぎゅっと心臓がにぎりつぶされるような感覚になった。徹自身は「元に戻るだけや」と言うけれど、再びひとりぼっちになった時に訪れる孤独感は想像するに難くない。母や義父、そして震災と、失ってばかりの徹の孤独がより深くなってしまう。あったものが無くなってしまうより、はじめから持ってない方が幸福ということもある。


徹が工面してくれたお金で東京へ戻るチケットを買いに行ったはずの悟郎でしたが、結局、仁美の分のチケットのみを用意して、残金は飲んで使ってしまったという始末。自分はここに残ると言い出す悟郎。
なぜここまで自分が徹に憎まれなければならないのか?徹と悟郎が向き合う展開に繋がってゆきます。


閉じ続けていた徹がついに爆発するクライマックス。あきらかにここのシーンが伝わらなければお話全体が成立しないくらいの重要な、とても難易度の高いシーンで、伊野尾くんのプレッシャーは相当なものだろうと推測されます。
軽トラの上で悟郎ともみくちゃになりながら、まるで決壊したダムのようにあの日からのことを告白し始める徹。かなりの長セリフです。意識的にセリフの緩急をつけないと持たない、それくらいの。そういった技術面での計算をよくキープできるなと思うほどに、昂ぶる感情のままにどんどん汗と涙でぐちゃぐちゃになってゆく、徹の顔。
幼い頃の徹にとって、「カラフト伯父さん」は優しくてなんでも知っているヒーローだった。
震災があって、カラフト伯父さんも、ヒーローも、希望なんてこの世にはないんだと知った時の絶望、生き残ってしまった自分への罪悪感。虚無的に日々をやり過ごしても、それでも心のどこかで、徹は、ずっとずっとカラフト伯父さんのことを待っていたんですよね。10年という月日が流れても。


もしかしたら、、ここのシーンをもっと巧みに演じる俳優さんは他にいるかもしれない。けれど伊野尾くんが演じることによって揺さぶられる何かがあるのは確かで、裏を返せばそれは「あの伊野ちゃん」がこんなに感情を解放してる姿への衝撃とも言えるのだけど、伊野尾くんの余力を残さない全力の叫びに心を打たれるわけで、あらゆる方向から聞こえてくる観客のすすり泣きもひっくるめて舞台が完成してる、そんな体験ははじめてでした。ステージからだとより会場全体の熱量を感じてることでしょう。伊野尾くんにとってもそれはそれはアメイジングな体験なのではないかな。


結局、悟郎と仁美は自己破産の手続きに、東京へ戻ることになります。
徹の運転する軽トラがラストシーンでは出発と再生の象徴になっていて(トラックから出された毛布は上のベランダに干す)、ワンシチュエーションの舞台ならではの表現だなと思いました。
かつてのシェルターが対峙と告白の場になり、新しい第一歩を踏み出すシンボルに変化してゆくんですよね。
地震以来、壊れたままの鉄工所の天井から降り落ちる雪も、星空も美しかった。
「若い男と二人がいいのっ」と助手席から悟郎を追い出す仁美が最後まで素晴らしいコメディエンヌっぷり^^
そして、徹の「ほな、いこか〜〜〜!!!」で幕が閉じます。

個人的にここでの和解が少し早急な展開だった気もしたけれど、そんなのは折り込み済みで、カラっとした後味にしたいという意図なのかもしれません。これまた余談だけど、序盤の、徹「知るかぁ〜〜〜!」と同時に暗転する、まるでコメディ映画のような切れ味の場面転換がテンポよくてだいすき。いかにもな喜劇っぽい和スカのようなBGMも。


カーテンコールでの伊野尾くんは、素のいのちゃんなんだけど、これまで見たことのない頼もしい座長としての姿に、上演中とはまた違った種類の感動に包まれました。笑顔が本当にこの上なく晴れやかで、いいものを届けられたぞっていう充実感を全身から放っていて、とってもとっても感慨深かった。
三方礼、やばい。あれはやばい。泣かずにはおられない!!!
お茶目なピースでソデにハケてゆく松永さんを見ながら、上唇をはむーっとさせる伊野尾くんはいつもの伊野尾くんそのものなのに、ひとまわりもふたまわりも大きく感じました。
28日は上下の上方席に大きくお手振りしたあと、ちいさく1F席に手を振る伊野尾くんがソーラブリー。

もうすでにいろいろアドリブを混ぜてきてるようだし、この先もブラッシュアップが期待できる舞台でした。脚本自体はシンプルな内容なのに、いろいろ考えさせられる余地も十分にあるお芝居で、いま現在の伊野尾くんが、この作品に携われてることに感謝したいです。
だし、こういう言い方は上からに聞こえるかもしれないけど、実際、伊野尾くん伸びてる。
歌もダンスも、どちらかと言うと地道に一歩一歩階段を上がっていくタイプな伊野尾くんが、「カラフト伯父さん」によって一気に数段飛び級してる感がある。どれだけ努力したんだろう、、と思うけども、きっとこれは幸福な出会いなしでは成し得ないことなのではないでしょうか。
伊野尾くん本人は毎日何を考え、目の前の光景をどう感じているだろう。いつか、今の気持ちを語ってくれたらな、と思います。

*1:「ハッピィ・ハウス」下巻