続・おねがい J Storm

伊野尾慧くんのファンです。

JOHNNYS' Worldに関するいくつかのメモ

JWに関するいくつかのメモ。感想でもレポでもありません。必然的にネタばれになる箇所があるかと思いますが、隠さずにそのまま記述致しますので、ご注意下さい。


JOHNNYS' Worldに関するいくつかのメモ



The Fifth Dimension「Aquarious〜Let The Sunshine In」

クライマックスに唐突におっぱじまるThe Fifth Dimensionの「Aquarious〜Let The Sunshine In」。
JWでひときわ異彩を放つここのパート。いきなり空気が60年代になるのだった。その前に山田くんがソロで歌う北公次さんの「裸の少年」もフォーク調だったが、明らかに「Aquarious〜」は現代の音ではない。


ソフトロックと呼ばれるような美しいハーモニーが特徴のジャンルが好きな昭和はこの曲自体は、実は以前からなじみがあった。(いまだにラジオなどでよくかかってる)この曲は時代を超えて古びない美しさがある、でもどう考えてもこの選曲は違和感ありまくりだろうと、改めて「Aquarious〜」について調べたところ、ミュージカル「Hair」の頭と尻の曲を繋ぎ合わせた、いわばカバーソングである事を知った。


いい機会だったので「Hair」の映画版を見てみたが、反戦反戦、というよりは、その時代を生きたヒッピーたちの様子を垣間見れるようなミュージカル映画で、おいおいそれでいいのかよって言いたくなる、オチが結構すっとこどっこいなお話だったのだけど、ある人物が仲間のために自分のポリシーである長髪にハサミを入れるシーンなどは非常にぐっときた。


ところでヒッピー思想を象徴する「ラブ&ピース」という有名な言葉があるけど、ジャニーズ舞台で頻出する反戦の描写に出くわす度に、この時間は誰得な違和感ばかりが残る人はわたしも含め少なくないと思う。JWもいつも以上にストレートな反戦描写があるが、社長は本当に「平和」を我々アイドルファンに伝えたいのだろうか?真意なんてもんはジャニさん本人以外は知る由もないけど、少なくとも既成の固定概念などに縛られない、「自由」を愛す人なんだろうなあとは予想できるし、今回JWを観て一番強く感じた事はそれだった。(そうでなければあんなに革命的な作品は創れないだろう…。)
なので今後、ジャニーズ舞台で反戦を訴えるシーンが出てきても、それは「平和」というオブラートに包まれた「革命」「自由」「解放」を問う社長からのメッセージと受け止めることにした。(知ったかぶり量産機ウィキペディアさんによると、『自由で解放された「新時代」(=Aquarious 水瓶座の時代)』という意味合いがあるらしい。オカルトちっくな趣味はないのであまり深く掘り下げないが、「いつから1年を12ヶ月で区切ることになったんだろう、なぜ13月はないんだろう」という斬新な提案をする社長のセンスはこういったあの時代特有の思想が下敷きになってるのかもしれない、とは思った。どこかで繋がってるのだろう…。)

ちなみに映画版「Aquarious」はThe Fifth Dimension版のアレンジとは異なり、ボーカルももっと土臭い感じで、洗練されたThe Fifth Dimensionのコーラスワークとはほど遠い、全く違う作品のような仕上がりであった。本家のミュージカル版はどちらに近いのだろう?
しかし1969年に大ヒットした曲とはいえ、これをジャニーズのアイドルたちから(主に戸塚さん)「みんなも一緒に歌って!」「ひとつになろう!」と、いきなり言われても、……だ。視界を覆うのは劇場全体を囲む透明のボール…。最後の最後までわたしたちを困惑させるジャニー。




ジュディ・ガーランド「Over therainbow」

オズの魔法使い」で有名な「Over the Rainbow」はJWで2回にわたって使用されている。
まず、2幕でのSHOCK〜ドリボ〜滝沢革命のJW版という名のパロディをするくだりで、革命担当の裕翔さん、圭人、光たちが「Over the Rainbow」をロックバージョンで演奏(ボーカルははっしー)。2回目はインストで、確かクライマックス直前の「13ヶ月目というユートピアは1人1人の心の中にあるんだ!」「だから探すんだ、この心の中を!」という、ユートピアを具体的に見せてもらえると期待してたジャニヲタがずっこけるような解決をされちゃう場面で、だったと思う。「Over the Rainbow」という曲が持つ意味合いを知っていると、「ついに公的にカミングアウトか…」と、思わず下世話で短絡的な解釈にいってしまいそうだが、やはりここでも「自由」というキーワードが脳裏に浮かぶ。奇しくもジュディの命日は1969年6月22日(=むにに…)。




Earth, Wind & Fire 「宇宙のファンタジー」(こういうブラックピープルな宇宙観とジャニはシンクロするとこがあるのかなとふと思い、ぺたり)

 どんな人にも居場所がある 誰の心にも宇宙がある
 そのファンタジーは この世界でさえ 拭うことはできない


JWを2回観て思ったのは、ジャニーズ舞台ならではのカオスといったらカオスだったけど、決して分かりにくい内容ではなかったな、という事。言葉で説明しろ、と言われたらそりゃ一言では言いあらわせられないけれど(何しろ「物語」を伝えるっていう意識は希薄だから)、滝沢革命の方がよっぽど「一体なにに巻き込まれたんだ、わたしは…」って終演後に頭を抱えた記憶があります(きゅうに丁寧語)。
この舞台自体、遺言なんじゃねーかと思うくらい、舞台人として社長が次世代に伝えたいこと、齢81にしてなお燃え滾る社長の自己顕示欲、それらがてんこもりなJWがジャニーズの集大成と呼ぶにふさわしい作品なのは分かるんですが、わたしが特に気になったのは、上に記載したような社長本人の超個人的なアレコレが直に見え隠れするような、そんないくつかの演出でした。

しかし、「Aquarious〜」がヒットしたのも1969だし、ミュージカル「Hair」日本版が上演されたのも1969だし、北さんの「ひとりぼっちになった時/裸の少年」が発売されたのも1969だし、ジュディの死がきっかけで起こったストーンウォールの反乱も1969だし、この年、擴は38歳のはずだけど何かあった…?